「取りに行きたい忘れ物」

高原光子

  仲の良かった友人から、長い間音沙汰がない。こっちから電話を掛けてみようかとも思うのだけれど、いつも向こうから電話が掛かってくることに慣れてしまい、なかなかプッシュボタンを押せずにいた。
「ねえ、○○さんから電話が掛かって来ないんだけど、どうしてるか知らない?」と別の友人に電話をしてきいているのだからおかしな話である。
「この前会ったときは、元気だったけど、電話してみればいいじゃないの」
 本当にそうだ。ただ電話すればいいのである。何も難しいことはない。
「もしもし、元気? しばらく電話がないから、ちょっと気になって‥‥」私は、相手が出るのを待って、一気に言った。
「ああ、高原さん、ええ、元気よ」と相手の言葉は続いているが、声には元気がない。それどころか少し怒っているような様子が伝わってくる。
「ねえ、今度また食事にでも行かない?」その声のトーンを気にしながらも、私は無視して言った。
「食事?‥‥でも、今ちょっと忙しいから‥‥」いやにそっけない。
「そう、じゃあ、暇ができたら‥‥」そこまで言って、『行こうね』と言えない自分に気が付いた。
「じゃあ、また電話するね‥‥」私は、そっと受話器を置いた。
やはり彼女は何かを怒っている。それが何なのかは分からないけれど、私に対して怒っているに違いない。
 最後に彼女に会ったのは、3週間ほど前の土曜日だった。あれは確か、いつものように私の文章の漢字の手直しが済み、印刷の打ち合わせをしていたときのことだった。
「ねえ、高原さんの文章ってちょっときついんじゃないの」彼女が言った。
「ううん、自分でもときどきそう思っているんだけど、この頃腹の立つことがあまりにも多いものだから‥‥」
「でも、あれじゃあ、健常者から受け入れられないんじゃないのかしら?」
「どんな所が‥‥?」
そこで、あちこち指摘され、
「前に書いた物でもいろいろ言いたいことがあるんだけど‥‥」といつもおとなしい彼女とは思えないほど挑戦的な言い方をする。
『えい、こうなったら何でも聞いてやるぞ‥‥』と腹をくくって聞いていると、本当にいろいろ言い始めた。
「でも、そんなこと言われたら、もう何にも書けなくなっちゃうわ」とうとう私が言った。
「それでも、健常者に嫌われるよりいいんじゃないの? いろいろ手伝ってもらわなければならないんだし」今日の彼女はいやにつっけんどんな言い方をする。
「そんな、あなたらしくないわ」長年ボランティアをやっている人の言葉とは思えない言い方に、少し腹を立てて言った。
「ボランティアだって我慢してることあるのよ‥‥」
「障害者はもっと我慢してるわ。分かっているように見えても、やっぱり理解してないんだわ‥‥きっと」いけないと気づいて口を押さえたときには遅かった。今まで彼女が示してくれた数々の行為に感謝していたはずだったのに、それを伝えることもできずにそれきりになってしまった。
 今、彼女の心の中に忘れてきた『やっぱり理解してないんだわ』という言葉を取りに行きたい。私が世の中に怒っているように、彼女も何かに腹を立てていたのかもしれないのだから――
 彼女の好きなチーズケーキでも持って 「こんにちは」と言って、そおっとその忘れ物を取り戻して来れたらいいのに――。


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