「たんぽぽの綿毛」

高原光子

 「さあ、いらっしゃい!」
私は、這い這いしてくる子どものたてる音に耳を澄ませながらも声を掛け続けた。子どもの小さな手が、私の指に触れた。「まあ、はやい・はやい!!」私は、子どもを抱き上げ、大きく揺すった。
 我が子は、光覚程度の視力を持つ者としてこの世に生を受けた。その日から、親子の悪戦苦闘の日々が始まった。
 繰り返される手術。通院。しかし、それは私にとって充実した時でもあった。つかまり立ちをするようになっても、彼はなかなか歩けるようにはならなかった。私は自分の足の上に子どもを立たせ、いっしょに1歩ずつ足を踏み出して歩き方を教え始めた。
 「○○ちゃん、いらっしゃい」
 子どもは泣きべそをかきながらも私の声のする方へ歩いてくるのだった。
 目の見える子どもを育てているときには、子どもの動きに付いていけなくなり、よく探し回ったものだったが、彼と私とではお互い見失わないように、声を出しながら遊ぶことにすぐに慣れていった。
 春になり、微風が花びらをゆらしながら甘い香りを運んでくるようになると、彼は自分で靴を履いて外へ出ていくようになっていた。それに、彼はいつでも声を出すことを遊びにしているようだったし、私の位置を確かめるために、いつでも自分から「ママ!」と呼び掛けてくるので、私には目の見える上の子どもたちよりも育てやすいように思えた。
 ボランティアの人と外へ出掛けた時には、いろいろな物を触れさせるようにしていたが、そのつど彼はかならず恐がって泣き叫んだ。一緒に散歩に出掛けた時のこと、彼の手を取ってたんぽぽの花に触らせようとしたのだが、やはり大きな声で泣き出した。
 「ほーら、何も恐くないでしょ?可愛いたんぽぽさんよ」と声を掛けてみたがどういうわけか泣き止めようとはしてくれず、その日はしかたなく家へ戻ることにした。いつもだったらすぐに慣れてしまい自分から手を出してくるのだが、なぜか何日たってもたんぽぽに触れることができなかった。
 目の見える子どもにとっては可愛い花が、視力のない者にとってはゆらゆらと揺れ動く得体の知れない奇妙な物なのかもしれない。思えば、私だって知識としてたんぽぽを理解しているだけなのだから。
 それでもいつのまにかたんぽぽにも触れるようになり、ボランティアの言葉をまね「かわいいかわいい」と言いながら唇を押し当てたり、頬に触れさせたりなどするようになっていった。
 ところがある日、やはりたんぽぽに触れた彼がまた急に泣きべそをかき始めるようすに私たちは驚かされた。
 「たんぽぽさんがなくなっちゃった!!」と言っているようなので、私がそおっと手を触れてみると、たんぽぽはすっかり綿毛になってしまい、ちょっと触れるだけでぱらぱらとこぼれてしまうようなのである。
 「あー、たんぽぽさんは綿毛になっちゃったのね」
「ほーら、ふうっとやってごらん、たんぽぽさんがお空へ飛んでっちゃうよ」
 私はそう言いながら(ふうっ)と吹いて見せた。上の子どもであればこれでおもしろがって自らやってみるところなのだろうが、彼にはなかなか理解できないらしく、(ふうっ)とやってみてはいるのだが、何とも不思議そうな様子をしているのだった。どうやって空へ飛んで行く様子を理解させてやればいいのだろう。
 いや、それよりも私自身が理解しているのだろうか? 私などは、ただ言葉の上だけで分かったつもりでいるだけなのかもしれない。私はそう思いながらも
 「ほーら、たんぽぽさんがみんなお空へ飛んで行って、来年になったらまたお花になっちゃうよ」と子どもに話しかけていた。それでも彼も何となく楽しく思えてきたらしく、(ふうっ)とやり始めた。(こうやって子どもは成長して行き、いつかは私の手からこの綿毛のように飛び出して行ってしまうのだろう。目の見えない子どもといえども、私がそうだったように。)私は心の中でつぶやきながらおもいっきり(ふうっ!!)とたんぽぽの綿毛を吹き飛ばした。


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