「ネットワークとバリアフリー」
「ニフティーサーブ開始10周年記念論文コンテスト」最優秀賞(第一席)

高原光子

 私は、パソコン通信を始めて3年ほどになる、視覚に障害を持つ一主婦です。この頃では、盛んにインターネットのことが話題になり、幼い子どもまでがその魅力に取りつかれているようです。しかし、その華やかな遊び感覚の裏に、私たちのようにパソコン通信から大きな恩恵を受けている障害者がいるのです。

1.ネットワークは、コミュニケーションの有用な手段である

 障害者である私が、他人と話をしようとする時、できうれば、自分の視覚に障害があると言うことを忘れたいと思うことはよくあります。しかし、現実には不可能なことです。フォーラムなどで話題についていこうとする時、興味を同じくする者同士であれば、私が障害者であるかどうかは何の問題もありません。趣味の会などに参加しようと思っても、現実には移動が困難な場合が多く、なかなか参加できませんが、在宅で参加できるフォーラムなどは大きな福音になります。また、 OFF会など外出の機会も増えることにも繋がってきております。
 これから、インターネットなどが自由に使えるようになれば、外出介助の人に遠慮せずに、思いっきり自由に、自分の納得するまでカタログなどを調べることができ、今までは夢だったウインドショッピングなども可能になると思われます。
 また、電気製品などのように、説明書を深く読みとる必要のあるものは、メーカーとのコンタクトにより、テキストデータとして手に入れることができるようになるはずです。そうなれば、視覚障害者はどんなにか助かるでしょう。現実に昨年そのようなことがありました。それと共に、こちらの要求をメーカーに伝えることができれば、バリアフリー商品開発のお手伝いもできることでしょう。
 次に、読書について考えてみましょう。録音図書なども通信に乗せることができれば、今までのように郵便で送る手間と時間を節約することになりますし、電子出版などが確立し、それが、ネットワーク経由で送られれば、毎日の新聞はもちろん、あらゆる出版物が点訳と言う手間をかけることなく手に入ることになり、自分の読みたい物を健常者と共有することができるはずです。これは、文字を読めない視覚障害者にとっては、もう夢の世界です。
 このように、ネットワークはコミュニケーションの大きな手段です。私がこのように文章を書き、みなさんが読んでいると言うことが、それを示していると思います。以前であれば、私は点字で書き、それを普通の文字に訳してもらい、やっと一般の人が読める物になっていたわけです。

2.ネットワークと職業

 次に、ネットワークと職業について述べさせていただきます。
 障害者が職業を持てない理由に、移動の困難なことがあげられるでしょう。どんなに能力があっても、今の我が国では車椅子などでの移動は、かなりの努力が必要です。視覚障害者も外出の難しさから、仕事に就くことができない者がたくさんいます。そんな時、在宅勤務ができ、その結果を通信で送ることができれば、大きな解決策になると思われます。
 また、現在のように一極集中型が引き起こしているさまざまな問題、たとえば、通勤ラッシュ・都市周辺の住宅の過密化による宅地の値上がり・過疎問題など、一挙になくなってしまうことでしょう。
 それでは、どんな職業が考えられるでしょう。現在ワープロなどによる清書を仕事にしている人たちがいますが、それを、障害者に割り振ることができるかもしれません。同じように楽譜や、その他の専門的なことの清書も総て障害者のできる仕事になるでしょう。また、先にあげたように、メーカーとのやりとりにより、バリアフリー商品のモニターなども今よりも簡単にでき、その結果をすぐにネットワークに乗せることができ、それが職業に結びつくことも考えられます。また、翻訳の仕事なども能力があるにもかかわらず携われずにいましたが、これからは新しい職業として見直されることでしょう。パソコンができずに点訳を必要としている視覚障害者に対しては、他の視覚障害者がその任を担うことができるはずです。普通の文字データを受信し、自分たちの手で点訳ソフトにかけることにより、点字出版社を視覚障害者自身が経営できると思われます。ミュージックデータの打ち込みなども、音楽の得意な障害者にとっては新職業になります。障害者の作家・画家・評論家・翻訳者・音楽家・コンピュータソフト開発メーカーの社長・人材派遣会社・図書館司書・などなど、今まで手が出なかった職業が障害者に対し一気に開かれることになると思われます。これはけっして夢ではないはずです。ちょっと考えれば誰でも理解できるでしょう。文字が読めなかった視覚障害者が、文字処理をする。外出の困難だった車椅子使用者が、自宅で勤務する。会話でのコミュニケーションの苦手だった聴覚障害者が、文字によりスムーズにコミュニケーションをする。などなどネットワークを利用しての新職業開発は、限りなくあると思われます。

3.ネットワークはバリアを越えられるか

 今まで、障害者がネットワークから大きな恩恵を受けることについてあれこれ書いてきました。しかし、本当にバリアは少なくなってきているのでしょうか?現在パソコン通信は基本的には文字によるコミュニケーションです。文字によるコミュニケーションの場合、言葉の壁を越えることは不可能です。つまり、外国人とはスムーズにコミュニケーションがとれないわけです。これは、一種のバリアです。その点、絵や音楽によるコミュニケーションは、開かれた手段と言えるでしょう。絵や音楽は幼い者でもたやすく理解できます。
 しかし、ここにもまた新たなバリアが生じてくるのです。絵は視覚障害者には理解しにくいものですし、音楽は聴覚障害者にはやはり理解しにくいはずです。コンピュータが Windowsになり、アイコンを操作することにより、今までのようにコマンドを覚えなくともよくなりました。しかし、これは視覚障害者にとっては、逆に操作しにくい物になってしまったのです。アイコンは一種の漫画のような物です。一目で何か分かりますが、「見る」ことが条件です。我が国では何かがはやり出すと、とたんにそれ用のソフトだけしか売り出されなくなってしまいます。つまり、パソコンイコールWindowsと言うわけです。そして、通信もまたしかりです。以前、あるネットに参加しようとしたことがありましたが、残念なことに、DOSではアクセス不可能でした。Windowsか、マッキントッシュでのみのアクセスになっていたからです。
 インターネットを考えてみましょう。ご存じのように、スムーズにインターネットを楽しむためにはブラウザが必要です。しかし、総てWindows対応です。商用ネットにより、テキストブラウザを持っている所もありますが、そうでない場合にはアクセスに困難を究めます。また、絵や写真などはおろか、文字までが特殊なフレーム機能を使用しており、単純なテキストとして読むことができなくなってきています。「見やすさ」は大切ですが、それを見ることのできない視覚障害者のためのテキストデータが添付されることが必要でしょう。また、アクセス方法が、GUIのみではなく、現在NIFTYが使用しているように、コマンドを要求してくるような仕組みが無くならないことを祈るばかりです。また、街頭などで見かける端末装置もほとんどがタッチパネル式になっており、私たち視覚障害者には全く使用できないのが現実です。このように新たなバリアが生じてきていることは一目瞭然です。
 新しい仕組みが開発された時、その表面だけを見てそれに飛びついてしまうことは人間として愚かなことです。人それぞれが異なるニーズを持っています。新たなバリアを生み出さないためにも、もっと多面的に物事を見ていくことが大切だとつくづく考えさせられます。

4.ネットワークは安全なのか

 これまで、ネットワークを利用しての障害の克服について書いてまいりました。ここまで読んでくると、なんでもかんでもネットワークに乗せてしまえばスムーズにいくと、勘違いしてしまいそうです。たしかに、居ながらにして買い物ができ、預貯金の出し入れも自宅のパソコンでやり、郵便局に行かなくとも手紙が出せ、電子出版物を読み、世界中の誰とでも顔を見ながら会議ができ、仕事のかなりの部分をカバーできるのですから、幼い頃描いた未来都市そのままです。しかし、プライバシー保護の問題はクリアされたとは言えません。パスワードをしっかり管理し、頻繁に書き換えたとしても、その道のプロであれば、そんなもの意図もたやすく解読できることは必定です。情報量が増えることにより、自分の能力では管理しきれなくなり、自分のプライバシーに関する情報ですら手に余るようになるでしょう。その結果、パスワードを頻繁に変えることはおろか、改竄されていても気がつかないなどの問題も起きてくると思われます。
 また、コンピュータウイルスの存在も見逃せないことの一つです。一度ウイルスが我が物顔ではびこり出し、世界中を駆けめぐるネットワークに乗り、あらゆるコンピュータに進入してしまえば、多くのことをコンピュータに依存して生きている社会は一溜まりもなく崩壊してしまうでしょう。現実には、ウイルス対策は、そのウイルスがどこかのマシンに被害を与えてから採られることになります。その時にはすでに収拾がつかなくなっている可能性もあるでしょう。
 次に、誰もがネットワークを利用したいとは限りません。ネットワークを利用したくない人たちが、今までのように書類を求めたり、銀行へ行ったりした際、サービスが低下することが考えられます。そうなると、高齢者などは戸惑ってしまうでしょう。また、人間関係も希薄になり、寂しさに耐えられなくなる人も出てくるかもしれません。ネットワークが生み出す人間関係も存在しますが、直接顔と顔を付き合わせての人間関係はもっと大切な人間規範です。人間自身がもっと成長し、コンピュータに振り回されないような確かな礎を築くことがもっとも大切なことでしょう。

5.最後に

 今まで、ネットワークを利用して障害者が新しい職業に就けるであろうとか、コミュニケーションの手段が増えてきているなどと書きましたが、現在の発展のスピードを考える時、それは、もう数年前から徐々にではありますが、始まってきていると思われます。日進月歩どころか、秒進分歩とまで言われている今日この頃です。数年後には通信の速度も飛躍的にアップするに違いありません。そして、その高速の通信網を誰もが低価格な料金で使用できるようになるでしょう。そうでなければ、先にあげた数々のことは夢物語になってしまいます。特に、コストについては、入力や、読みとりに時間のかかる障害者にとっては重大な問題です。10年後、コンピュータの操作もテレビなどのように簡単になり、誰もが電話をかけるような気軽な気持ちで使用でき、「みんなのネット」になってこそ開かれたネットワークと言えるでしょう。
 また、世界中を駆けめぐる通信網が整備されると共に、世界に共通する法律も必要になります。「物」の方がどんなに進んでも、そのあたりがきちんとならなければ大きなトラブルの原因にもなることは明らかです。世界中の国々が一つのテーブルについて対等に話し合われ、だれもが利用しやすいネットワークが実現することを願い、総ての人々がバリアを意識することなく、人間のためのネットワークになることを信じまとめに変えたいと思います。



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