「日常生活のマルチメディア化」

高原光子

 「マルチメディア」などと聞いただけで、拒否反応を示す人もあるかもしれません。そんな物は、パソコンを使う若い人の物で、自分達高齢者や障害者、あるいは、あまりサイエンスの得意ではない者には、縁のないことだと決めつけている人もあるでしょう。
 けれど、私はそうは思いません。むしろ高齢者や障害者など「社会的弱者」といわれる人達の為に発展すべきだと考えています。それでは、なぜそうなのかを順を追って説明します。

  1.買い物はテレビショッピングで

 題名を見て「なんだ。あのテレビショッピングか」などと考えた方は、ちょっと頭を切り替える必要に迫られることでしょう。たしかに、あれも「テレビショッピング」の一部であることには間違いありません。けれど、私が言いたい「テレビショッピング」とは、そのような狭い意味ではないのです。
 現在、パソコン通信やインターネットなどを使い、買い物をしている人が増えています。また、ケーブルテレビなどを使い、仮想現実の商店街で買い物をしている人もいると聞きます。そうです。向こうから与えられる情報の中から選ぶだけではなく、ユーザー自信が自ら情報を取りにいくというのが、この「テレビショッピング」の魅力なのです。この「テレビショッピング」を利用すれば、車椅子のあなたも、寝たきりのあなたも、共に颯爽と歩いて買い物ができるのです。

  2.映画はホームシアターで

 この頃では、レンタルヴィデオが大流行です。昔恋人と観たあのシーンが、また復活し、家でビールを飲みながら観ることができるようになりました。けれど、このレンタルヴィデオは、メディアの発展途上の産物にすぎません。やがて観たい映画は通信網を通し、圧縮されて送られてくることになるでしょう。映画はもちろん、過去のテレビ番組や刻々と移り変わるニュースや天気予報も、自分の欲しいときに手に入れることができるようになります。あなたが欲張りなら、同時にたくさんの番組を見ることもできるのです。
 そして、このように「同時にたくさんの‥‥」というのがマルチメディアなのです。このマルチメディアは、視覚や聴覚に障害を持った人達に大きな恩恵を与えることになるはずです。せっかくの楽しい映画も、台詞が分からない聴覚障害者にはつまらない物になります。そんなとき文字多重放送を利用することができれば、健常者と同じように楽しむことができるでしょう。また、動作や場面に重要な意味があり、それを見なければドラマがつまらなくなるような場合には、音声多重を利用し、説明を加えることにより、視覚障害者も健常者と同じように楽しさを享受できることになるはずです。また、臨時ニュースのような大切なことも、文字だけではなく、音声でも伝えることが出来れば、視覚障害者はどれほど安心して日々の生活を送ることができるでしょう。
 1.の「テレビショッピング」も、視覚障害者の為の説明文を音声あるいは点字ディスプレイに出力することができれば、今まで望んでも獲られなかった「ウインドショッピング」もできるのです。

  3.自分が放送局に

 テレビをつけても、本屋に行っても、インターネット関連の記事が多くなりました。自分でホームページを作っている人も増えています。けれど、なぜこんなに大騒ぎしているのでしょうか?それは、このインターネットがまだまだ過渡期のネットワークだからでしょう。一部の新しもの好きか、会社や学校など社会的に責任のある所が発信源になっているだけなのです。
 しかし、この流れはすぐに誰もが発信源になれる時代へと移行していくことでしょう。しかも、それは止まっているだけの映像を発信するというような幼稚な物ではなく、現実に動いている物を発信する――いわゆる個人がドキュメント番組の発信者――になるということです。
 病気で孫の運動会を見にいけなかったおばあちゃんの為に、デジタルヴィデオカメラからおばあちゃんのベッドサイドのテレビに音声と映像が送られてくるのです。ベッドで点滴を受けながら、孫の活躍に拍手を送ることも夢ではないのです。
 遠く離れて暮らしている家族同士の電話のやりとりも、リアルな音声と映像でまるですぐ側にいると錯覚してしまうほど実際的になるでしょう。近い将来それについて誰も大騒ぎする者などはいなくなるのです。

  4.電話は一人1台

 この頃、電車の中などで、大きな声で携帯電話で話をしている人がいます。「俺は携帯電話を持っているんだぞ。かっこいいだろ?」と無言で言っているようです。
 車には、携帯電話の他に、カーナビゲーションシステムを付けている人もいます。けれど、よく考えてみると、携帯電話も、カーナビも、受信機とそれを中継する物との電波のやりとりということでは大きな違いはないと私には思えます。現在はまだ過渡期ということで、いろいろなシステムが混在しているのでしょう。
 視覚障害者が道をあるくとき、誘導装置があればどれほど助かることでしょう。いろいろな所が、さまざまなシステムを開発中だと聞きます。けれど、駅構内の誘導装置、道路の誘導装置、携帯電話などたくさんの物を持ち歩かなければならないとしたら、とても不便なことです。その総てを1台の携帯電話で済ませることができれば、とても助かります。
 たとえば、視覚障害者同士が待ち合わせをしたときでも、お互いに交信し合うことができれば、簡単に出会えるはずです。ホームの端に偏りすぎてしまい、危険だと判断される場合には、警告音が鳴って知らせてくれれば、もっと安全です。道に迷ったときにも、目的地を入力することにより、正しく誘導されれば、一人歩きがもっと楽になります。つまり、自分の位置を正確に知ると同時に、相手に対しても正確に知らせることができるようになるということです。
 このシステムは、行方不明になった人を探す役にも立ち、徘徊している老人も直ちに見つけられるようになることでしょう。

  5.情報はできるだけデジタル化を

 我が家には、毎日たくさんのダイレクトメールが届きます。通販のカタログや新聞の折り込み広告も、子ども達が買ってくる雑誌ですら読み終わると廃品回収の山になってしまいます。下手をすると、ただのゴミになってしまうことすらあります。もしそのほとんどをディスプレイ装置で見ることができれば、ゴミの山は一気に少なくなるはずです。自然保護の観点からも、紙の節約は大きな意味を持つことになるのです。
 そして、デジタル出版が確立されることにより、出版に掛かるコストが下がり、今よりも安く情報を手に入れることができ、情報を発信している出版社や作者にとっても、大きな利益になると思われます。
 そして、このデジタル情報は、いろいろと加工ができるのです。視覚障害者の為には、点字や音声に、聴覚障害者の為には、音声を文字や絵に変換できるのです。こうしてその人のニーズに合わせたメディアを選択できれば、もっと豊かな人生を享受できることでしょう。
 ただ、ここで問題になるのが、著作権の保護です。情報のソースを自ら作りだし、それを発信するには多大のエネルギーが掛かります。他社がそれを安易にコピーできてしまうということは、良質の情報を生み出す妨げになるのです。情報の価値をきちんと認め、それに見合う代価を支払ってこそ、文化は発展するのです。

  6.インターフェースもニーズに合わせて

 ここまで読んでくると、この題名を見ただけで、私が何を言いたいのかを察してしまわれた人もおられるかもしれません。そうです。「メディア」の本当の意味をここでもう1度思い出す必要に迫られるのです。メディア(媒体)とは、何もテレビ画面だけではないのです。いや、言い換えれば、メディアは画面という意味ではないと言いたいのです。
 この頃の機械のほとんどの操作性を考えてみてください。パソコンはwindowsに代表されるように、画面を見ながらマウスで操作するようになっています。家庭電化製品も、画面の指示に従って操作するようになっています。これでは視覚障害者には全く使えません。せっかくすばらしい未来が展開しようとしているというのに、その「見るだけのメディア」から取り残されてしまうのです。
 つまり、「マン・マシン・インターフェース」について、もっと考えなければならないと思うわけです。視覚障害者には触って分かる物や音の出る物。手や指の障害の人には、大きめのボタンやそれに変わる物が必要です。
 このような配慮をしてこそ、「メディア先進国」といえるのです。
 少しだけ触れてみましょう。画面タッチでしか使えない銀行のCDやATMには、点字あるいは音声による表示方法が採られる必要があると共に、ボタンも高齢者にも使いやすいように大きめにしなければなりません。ヴィデオの予約も、新聞のGコードでの入力ができればベストだという安易な考えを捨て、音声入力や大きめのボタンでできるようにしなければなりません。そして、もっと分かりやすいインターフェースでなければ意味がありません。今までできていたことができなくなるような発展の仕方は、根本的に間違っています。
これからもたくさんのメーカーが競い合い、メディアを育てていくことでしょう。そんなとき、障害者や高齢者など「社会的弱者」と呼ばれる人達のニーズを的確に捉え、それらの人達に新たなハンディを持たせないようにすることこそ、メディアを支えるメーカーや放送局、通信産業に課された課題なのではないでしょうか?

                        1997年9月(完)


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