「伊豆の旅」 --仲良し六人の珍道中--

高原光子

 1

 伊豆の空はどこまでも青く澄み渡り‥‥。とか、伊豆の空は春霞に化粧され、優しい色をしていた。などと今自分を包んでくれている自然を的確に表現したいと望みながら、残念なことに、私はその本当の風景を知らない。心の中でイメージしてそれを言葉にしても、それは所詮現実の空の色とはかけ離れているのかもしれない。幸い私は全盲ではないし、かなりの色を識別できる視力を保持している。けれど、それは眼の前にあるあざやかな原色に限られていて、微妙な色の変化を言葉で表せるほどのものではない。
 しかし、三月初旬のその日のお昼前、私達六人は伊豆高原駅にいた。私に感じられるのはふんわりと優しい花の香りと、かすかな塩の匂い、そして、朝池袋駅で感じた凍えるほどの寒さの総てを帳消しにして余りあるほどの温かな太陽の光だ。それにしても今この大地に足を付けているなど、本当に信じられないことだった。
 この六人は珍妙だ。すれ違う人たちの足音が微妙に遅くなり、それから急にテンポを速めて通り過ぎるのが私にも分かる。たぶん二台の車椅子にはっとし、その横に佇んでいる白杖を握りしめた目つきの悪い小柄なおばさんに目を奪われ、残りの三人の内の一人もどうやら障害者らしいことを見て取ると、かかわり合いになることを恐れてさりげなく通り過ぎているのだろう。
 今までにも伊豆へは何度か訪れたことがある。障害者のグループで借り切った専用のバスは、私達をいともたやすくとはいかないまでも、少なくとも目的地に到着するだろうかなどと心配する必要のないくらいには楽に運んでくれる。今回のように出発地点から見知らぬ他人の手を借りることなどありえない。それでもこの旅行を強行したのは、ひとえにゆっくり気の向くままに過ごしたかったからだ。
 この中の四人の障害者は少しばかり勇気に欠けるのかもしれない。少なくとも私は見知らぬ土地への一人旅を強行するほどの勇気など持ち合わせてはいない。毎日のようにどこかへ行きたいとこぼしながらも、今まで一度としてそれを実行に移したことなどなかったし、今回の一泊旅行にしても、二人の健常者がいたからこそ実現したにすぎない。
 それでも、たまに参加する障害者の団体旅行と違っていたのは、最初から決められている予定が、往復の列車と、宿泊場所だけという、常に人の手を借りなければならない私達障害者にしては贅沢であり、少し危険なスケジュールだ。

 2

 ここ埼玉の三月初めの朝は、春とは名ばかりでまだまだ寒い。ジーパンとジージャンだけの軽い服装では、その寒さを防ぐことなどできるはずはなかったが、私はあえてその軽い服装で家を出発した。駅までの道のりは十分、白杖を握りしめた右手がその寒さを助長する。私を除いた五人が待っているはずの駅へは、電車を乗り継いでたった三駅だ。けれど、その三駅が私を孤独にする。

  他のメンバーは家からボランティアの助けを借りて出発した。二台の車椅子と、それを押す二人の健常者。そして、車椅子を使うほどではないが、やはり身体に障害を持つ一人の合わせて5人だ。その五人がわいわい騒ぎながら、駅員に手伝ってもらい、車椅子をエスカレータに乗せている声を聞いたような気がして、私ははっと後ろを振り向く。心の中で、駅にエスカレータが敷設されたことに感謝しながら、いつになく電車のスピードが気に掛かる。
 やはり私に聞こえた声は幻などではなかったらしい。ホームに一歩踏み出した私の足は、名前を呼ばれるまでもなく、五人の方へと歩みだしていた。けれど、これは本当にたった五人だろうか?もしかして、もう五人ほどメンバーが増えたのではないかとたじろぐほどに騒がしい。見知らぬ男性の声もする。
 駅員と親しく話をすることなど滅多にはない。それなのに私が近づくと、自分達がどんな思いでこの一泊二日の旅行を計画したかを、まるで友達同士のように話していた。おしゃべりな私が加われば、これはもう雀の合唱など囁き声だったのかと錯覚するほどににぎやかになる。おまけに、白杖を持ってすたすたとホームを歩いてくる珍妙な視覚障害者に驚いた駅員の矢継ぎ早の質問がそのかしましさに輪を掛ける。
 「どうやったらそんなにすたすた歩けるんですかねえ」
 しょっちゅう落ち込んでいる私が、ちょっと胸を張れるのはこんなときだ。
 電車がホームに入って来る音にもかき消せないほどの大声に少し恥ずかしくなりながら、駅員の手を借りて電車に乗り込むと同時に、発車のベルが鳴った。
 「いってらっしゃあい」
 その土地の名士か何かのような気分で、窓越しに手を振ってくれている駅員に手を振り返す。いつも乗っているはずの東上線の車輪の音が、今日はなぜかリズムを刻んでいるかのように耳に心地よい。
 電車に乗り込んでもにぎやかさは続いていた。池袋までは四十五分。
 「本当に来れるとは思わなかった」
 まるで九官鳥のように繰り返される言葉、電車のスピードに合わせて様を変える朝の光、電車と線路が協力し合いながら奏でる音楽。その総てが私達を優しく包み込む。

 3

 日曜日の朝の池袋駅は案外静かだった。連絡を受けていた駅員が私達の下車を手伝ってくれる。やはり私達は国賓並の扱いだ。「そこのけ、そこのけ車椅子が通る」と駅員が無言の内に触れ回っているのか、人々が左右に分かれる。しょっちゅう何かにぶつかっている私としては、自分の進みたい道を堂々と歩けるなど本当に久しぶりだ。
 けれど、やはり私達は国賓ではなかったらしい。国賓がどのようなトイレタイムを過ごすのかは知らないが、とにかく車椅子用のトイレが設置してある場所でのトイレタイムは欠かせない。それは、自分の欲求があるかどうかで選べるほど恵まれてはいない。とにかく池袋駅で最初のトイレタイムを取ることにした。車椅子使用者ではない私とて大差はない。一人でこの駅を利用するときなど、トイレの前に立ち、はて、女性用のそれがどっち側だったのかしばし悩みながら佇むこともしばしばだ。
 この頃の主要駅のほとんどが自動改札になってしまった。たしかに機械で置き換えられることは、人件費削減からもやむを得ないことかもしれない。自動券売機が出現し、今度は自動改札が一般的になった。車内放送も自動化しつつある。これほどに何もかもが自動化されているのだから、当然駅や電車内の人間によるサービスが向上すると思って期待したのに、どこへ行ってしまったのか私達の目に触れることがない。
 車椅子では自動改札は狭すぎて通れない。駅員のいる改札が端にあるのだからいいじゃあないのと鉄道側ではおっしゃっているが、なぜわざわざ端まで車椅子を押していかなければならないのかと、ふと疑問が顔を出す。音のしない自動改札は私達視覚障害者にも不便だ。せっかく見つけたと思えば、そこは自分が行くべき方向とは逆側、――入ろうとして出口の前にいる――というのは、当然二回に一回の確率でやってくる。悔しさをそっと押し隠し、またまた忙しそうに歩いている健常者様に白杖を引っかけてうろうろ探し回らねばならないのだから、たまには文句の一つも言いたくなってもお許しをいただきたい。
 けれど、やはり文明の利器には感謝を捧げなければ罰が当たるかもしれない。車椅子を担いで階段を通らずに済んだのは、エレベータという便利な機械があればこそなのだから。
 これから私達は「スーパー・ビュー『踊り子』」に乗ることになっている。けれど、JRのホームに降りるべき文明の利器はここにはない。仕方がない。駅員と二人のボランティアの四人で車椅子を持ち上げると、しずしずと階段を下りていった。私は想像の中でそれを見る。一歩一歩足下を確かめながら下りる四人、息を詰めながら車椅子に乗っている者、固唾をのんで見守る者、それらの思いが一つになり車椅子は無事ホームに下りた。
 けれど、「スーパー・ビュー『踊り子』」が入線してくるまでには、一時間もの待ち時間がある。トラブルを予想して早くきすぎたのだ。誰がこんな吹きさらしのホームで一時間もの時を過ごしたい者がいるだろうか。風の来ない所で、熱い缶コーヒーか何かで手を温めながら、これからのスケジュールなどを話し合えばいい。けれど、私達には贅沢な望みだ。さっき下りた階段がエベレストのように頭上に立ちはだかっているのだから。
 震えながら一固まりになっている六人。白い息を蒸気機関車のように吐き出しながらしゃべり続ける。
 「あたしの美しい裸身を見せてあげるから、風よ止め!」
 などとうっかり大声でしゃべり、皆から呆れられる私。どうやら心だけが春に向って羽ばたいても、感覚器官はしっかりと冬を認識しているようだ。

 4

 時の流れは公平だ。「スーパー・ビュー『踊り子』」が定刻通りに入線してくると、私達は他の乗客を先に乗せるという親切心さえ示す余裕さえみせたのだから――もちろん、それは他の乗客のじゃまにならないよう心配りをしただけだが、狭い我が国では、やはり何もかも「コンパクト」が基本になっているようだ。自動改札では狭すぎて車椅子が通れなかったが、ここでもまた車椅子は入り口を突破することができなかった。二人のボランティアが一人づつ抱きかかえて座席に連れていき、車椅子を運び込むと同時に発車のベルが鳴った。
 車内は温かい。ほっと一息付いた私の耳に聞こえてくるのは、列車のリズミカルな響きだ。それは、「旅行楽しんできてね」と言ってくれているようだった。
 それにしても、隣に座った彼女が言った「首の位置を直してちょうだい」との言葉にちょっと驚き、さっと来てそれを直してしまうボランティアにも感心した。人が意識せずにやっていることの一部分ができなくなることが「障害」ということなのだ、と、自分が障害者でありながら、改めて知らされた一瞬でもあった。
 しばらく走ると、左側に海が見え始める。
 「まあ、本当に海だわ!!」
 「あたし達電車から海を見ているのね!」
 歓声を上げている声を聞きながら、開かない窓が恨めしい。せっかくの春の海が、私には認識できない。一生懸命説明してくれるみんなの声を聞きながら、その片鱗だけでも理解しようと、耳や鼻をとぎすます。まあ、しかたがない。とにかく窓の外には太平洋が見えているのだ。それにしてもここでまた妙なことを思う。あの「宮城道雄」の「春の海」を聴きながら、太平洋を想像することは難しい。私に想像できる光景は、正月の朝のお節料理だ。

  いよいよ目的地の「伊豆高原駅」に到着した。またしても二人のボランティアが、二人の障害者を抱きかかえる。
 「旅行来れて良かったね!おじさんもうれしいよ」
通路で見知らぬ人が声を掛けてくる。
「ええ、本当にうれしいんです」
そんなたわいもない会話がまた楽しい。

 5

 こうして、私達は今この伊豆高原駅に来た。先ほどホームに降りたときに嗅いだふんわりと優しい花の香りの出所を探して、手を伸ばすと、そこには以前熱帯植物園で触ったことのあるような大きくしっかりした花びらがあった。それがベゴニアだと知らされ、自分が普段見慣れているそれとのあまりの違いに、一瞬別の国にさまよい込んだのかと錯覚しそうになった。それにしてもこの駅には花が多い。しかも、その花々がまた鮮やかな夏の色をしているというのだから驚きだ。それは、たった二時間で、冬から春を通り越し、初夏へと紛れ込んだようなものだ。
 遠くに見える伊豆七島がみんなの目を引きつける。
「まあ、三原山がはっきり見えるわ!」
 「ああ、いつか行ってみたいわ!」
シャッターを切る音がして、私もみんなと同じようにその景色に心を遊ばせる。腕時計ははずしてしまった。次に時計を見なければならないのは、ホテルの迎えのバスの時刻だ。旗を持って先導する人はここにはいない。伊豆の空気を身体の隅々にまで取り込もうとしているだけのためにただぼんやりと窓にもたれている者を無理矢理に引き離す強行スケジュールもない。

 けれど、気ままで自由だと言いながらも、やはり空腹には勝てない。私達はレストランに向かうべくゆっくりと駅を後にした。観光地はどこも坂道が多い。この伊豆高原駅の回りも例外ではない。ぶらぶらとさものんびりと歩いているようにみえても、車椅子を押している二人が息を弾ませている様子が伝わってくる。ぽかぽかと春の日差しを浴びながらその二人の後を話し声を頼りに追いかける。途中で「河内桜」に触れ、口に含み、その苦さに顔をしかめたりしながら、ゆっくりとしたペースで次の出会いを待った。
 しばらくすると前方にレストランが見え始めた。その日は大安なのか、結婚式の真っ最中らしく、ウェディングドレスの花嫁がしずしずと通り過ぎて行った。それは私達への粋なプレゼントではあるまいが、みんな口々に「おめでとう」を言い、拍手をした。それにしても私だけがそのすてきな花嫁さんを見ることにあやかれないのは不公平だ。こんなときこそ文明の利器に登場してもらいたいものだ。ろくろ首ならぬろくろ手があれば、せめて裾にでも触れられるのにと一人心につぶやくのだった。
 店の人の手を借りて車椅子を持ち上げ、階段を三段登り、やっと席に落ちついた。口々に発せられる感動の言葉が私を酔わせる。レースのカーテンを通してかすかに見える海、美しい花々、可愛らしい食器類、先ほどの花嫁ではないが、想像の中の景色は、実際に見るよりも華奢で美しく、その中をさまよう私をおとぎの国のお姫さまにしてしまう。
 食事はとてもおいしかった。誰の目も気にせずに、自分でフォークとナイフを使う。ちょっぴりのワインがそれにスパイスを利かせる。
 「明日は山焼きがあるんですよ」
 と、レストランの人が教えてくれた。
 「あそこに見える山であるんですか?」
「ええ、見にいらっしゃればよろしいのに。毎年三月の第一日曜日にやるんですよ」 と店の人が自慢げに話す。
 「そうですか、でももう明日帰っちゃうんですよ」
 「どこから来たんですか?」
 「埼玉からです」
 小さなカップに入ったコーヒーを飲みながら、いつしか私達は饒舌になっていた。

 駅に到着すると、すでにホテルのリフトカーが迎えにきていた。坂道を走ること十分、いよいよ目指す鳥風館に着いた。

 6

 「いらっしゃいませ」
 フロントまで点字ブロックがある。エレベータは音声で階数を知らせてくれ、廊下の手すりには部屋の名前が点字で刻まれている。もちろん車椅子使用者への配慮もかなり充実しており、トイレやお風呂のことだけではなく、車椅子で建物の回りを散歩できるようにもなっている。けれど、気ままな旅と言いながら、このようなことをいちいち確かめなければならないことが、少し悲しい。
 伊豆に別荘を持っている人は多い。テレビなどではとてもおしゃれな可愛いレストランやホテルがたくさん紹介されている。お昼をいただいた所もそんなおしゃれな店だった。けれど、私が最初に伊豆に抱いたイメージは、やはり、「川端康成」の「伊豆の踊り子」のそれだ。伊豆には暗いトンネルがなければならないし、雨が降っていなければ嘘だ。そして、ふすまや畳は古びて汚くなければならない。
 しかし、もちろんこのホテルの畳は清潔だったし、ロビーのソファーなどはふかふかして座り心地が良かった。
 ゆっくりとお茶をいただきながら明日の予定を決めることもまた楽しい。
 おおざっぱなスケジュールに戸惑っている者もいたが、
「すてきじゃない。『気の向くままに旅をする』なんて」
 「なんだかちょっぴり陰のある『良い女』になったみたいね」
 「今日はみんなドラマの主人公なのよ」
 などと私達はしばしこの「気ままな旅」と言う甘美な響きに酔いしれるのだった。

 旅行の楽しみはやはりお風呂だ。もちろんこのホテルのそれは車椅子使用者への配慮が行き届いている。以前行ったあるホテルは障害者への万全の配慮と謳っていたにもかかわらず、車椅子の人のお風呂が別になっていて、悲しい思いをした。
 ボランティアの一人が歌を口ずさむ。障害者会の旅行では、いつもレク係として気を抜くことのできない彼女だ。同じフレーズを繰り返す彼女の声を聞きながら、今回も決して楽ではないその役割を思い、「どうせカスバの夜に咲く」のメロディが私をもほっとさせた。
 大きな窓から海が見える。目を閉じなくとも風呂の水音を海の音だと言い聞かせることなど造作もない。今私は人魚になって、広い海を漂っていた。憧れの王子様はまだ来ない。明日下田に行けば、黒船に乗った王子様に会えるはずだ。
 ホテルの浴衣を着るのもまた愉快なことだ。車椅子の彼女の派手なトレーナーとは対照的に、それは地味でいかにも旅の宿の風情だ。
 
 食事の知らせが入ると、六人のくいしんぼうはエレベータに乗り込んだ。ここは公営のホテルにしてはいつもおいしい食事を出してくれる。一泊一万円以下でこれほどの品数は珍しい。
 自由に動かない手の代わりをしているボランティアの二人は忙しい。食べやすいように取り分けながら、口では私への説明を忘れない。彼女らの口と手は他人のためにフル稼働する。お刺身は水っぽくはないし、てんぷらはからっと揚がっていた。煮魚の味はしっかり付いていたし、サラダのドレッシングは程良い酸味が食欲を刺激した。
 広い食堂は私達六人の貸し切りだった。カラオケなどで騒ぐ者もなく、ただ「おいしい!おいしい!」を連発し、旅行に来れた喜びをあらゆる言葉で言い続けていた。

 それにしても静かな夜だ。深夜でもひっきりなしに聞こえる車の騒音に慣れてしまった耳には、自分の鼓動が聞こえるほどの静けさが心を騒がせる。
 眠れぬままに時を数えていた私の耳に聞こえてきたのは、寝返りを手伝っている物音だった。目覚めたことを悟られないようにしながら、一晩に何回寝返りの手伝いをしてもらわなければならないのだろうと気になった。

 7

 朝の光が容赦なく起床時間を告げる。窓を開けると、海の香りがさわやかだ。今日も天気は上々。どうやら神様は慈悲深いらしい。朝食を終え出発時間になったが、何か忘れ物をしたような気がして少しの間部屋のあちこちに手を触れてみた。
 今度このホテルに宿泊できるのはいつになるのかしら?と指が問う。けれど、その答えは部屋のどこからも返って来ない。もし今度来れるとしても、たぶん団体旅行に違いない。旗を持ったおじさんの命令通りに行動しなければならないことだろう。
 
 午前九時、名残を惜しみながら私達はリフトカーに乗り込み、駅へ向かった。今日の予定は伊豆急で下田まで行き、そこでおいしいと評判のお寿司をいただくことになっていた。その他の予定はまだ決めていない。気分しだいで――と歌の文句に出てくるような台詞を吐きながらまた駅員の手を借りホームへ降りた。電車を待ちながらのたわいのない会話も私達には夢の一部だった。
 「展望車に乗るのよ」
 「えっ?展望車ってなあに?」
 「伊豆の美しい景色が見えるように、座席が窓の方を向いているんだって」
 「へえ、そんな珍しい電車初めてだわ」
 「障害者専用列車『ひまわり号』」などと銘打ってやっと列車の旅をするほどに、重度障害者にとっての列車は珍しい。展望車で外を見ている珍妙な六人はまた、列車に乗り合わせている人から展望されているに違いない。
 幸いその列車には車椅子ごと乗り込むことができた。
「まあ、なんだか喫茶店が走っているみたいね」
 「でも、飲み物なんか出てこないわよ」
 これでは幼稚園の遠足だ。窓を向いて半円形にカーブした椅子が並び、「ほら、伊豆の海をたっぷり見学なさい」と言っていた。
 「わあ、船があんなにたくさん!」
 「空気が澄んでいるのね。遠くの島がはっきり見えるわ」
 海原の向こうに見える伊豆七島、大きさの異なる漁船、車中で交わされる土地言葉、どれも新鮮で、心ときめく一時だった。
 駅でドアが開くごとに、塩の匂いが強くなる。八戸で生まれた私にとって、海はなつかしい匂いだ。
 「ああ、いいな。海の匂い。なつかしいな」
 幼い頃の郷愁が蘇り、しばしタイムスリップする。開いたドアから鰯のつまった篭を背負ったおばさんが乗り込んで
 「鰯よがんすか」
 などと言ったように思い、そっと後ろを振り返る。なつかしい母の匂いに包まれて、もう少し、せめてもう一時間この展望車に乗っていたいと密やかに願った。
 けれど、その願いも空しく、目的地の「下田」とアナウンスが聞こえ、私達はホームに降り立った。

 お昼にはまだ早い。ペリーの黒船の模型の前で写真を写した。手を伸ばすとざらざらした外壁が手に触れる。これが下田のシンボルなら、もっと詳しく形を確かめたいと思ったが、全体を触るにはそれはあまりにも大きすぎた。
 列車で感じた海の匂いも、ここでは風にかすかに香るだけになり、どちらかといえば花の香りが強い。小さなお土産屋さんの貝細工の一つ一つを手に取ると、頬摺りしたくなるほど可愛い。こんな華奢なネックレスを着け、誰かに「とても良く似合うよ」と言ってもらえることを想像すればいともたやすく楽しくなれる。
 それでも、私達にはやはり食べ物の方が似合う。このあたりで取れた豊富な海の幸がほんのちょっぴりのご飯の上に乗っている。食べると口の中でとろっと溶けてしまいそうな何とも言えない食感が私達全員を酔わせる。それは埼玉で食べる寿司とは一味も二味も違う。
 「わあ、ネタがこんなに大きいなんて!」
 「とろっと口の中で溶けるようだわ。おいしいわね」
 お腹が膨らむと、人は優しくなれるようだ。家に残してきた家族にも、自分達の食したおいしさを分けてやりたくなってくる。私達は教えられた塩辛のおいしい店へと向かってその店を後にした。
 いろいろな種類の塩辛の試食も楽しい。持ちきれないほどに買い込んだ塩辛やわさび漬を自宅へ発送してもらいながら、しばし店の人と世間話を交わす。
 私には景色がよく分からない。私にとっての旅は、音を聞くことであり、その地方の方言を聞くことだ。手に触れる感触を楽しむことであり、匂いを嗅ぐことだ。そしてもちろん、おいしい物を味わうことだ。おいしい海の幸は十分にいただいた。たしかに展望車の中ではほんの少し土地言葉も聞いた。海の匂いもほんの少し嗅いだ。けれど、街はどこも同じになってしまった。土地言葉もなければ、独特の匂いも少ない。靴の下にはアスファルトの舗装道路が横たわり、車は容赦なく排気ガスを浴びせてくる。
 まだほんの少しだが時間があった。私達はその店で教えてもらった近くにあると言う「唐人お吉」の墓へと向かった。
 やっぱり坂道を上る。色とりどりの草花も、道すがら覗き見るウインドーもすでに春だった。
 唐人お吉の墓は十分ほどの所にあった。門を潜ると、なぜか妙に静かで冷気を感じる。線香の煙と混じり合ったその匂いが、私を怯えさせる。ガラスの向こうに展示されたお吉の着物も、使っていたと言う装身具なども、ボランティアが読んでくれた手紙なども当時の美しかった女の性を見るようで悲しい。お吉は、伊豆下田の船大工の娘に生まれ、幕吏の命令でアメリカ人ハリスの妾になったという。のち下田で身投げした頃には、心も身体もぼろぼろになっていたのだろう。(1841~1890)美しい着物もお吉の心をいやしてはくれなかったようだ。
 それにしてもこの冷気は何だろう。お吉が同じ女である私の心にテレパシーを送り込み、タイムマシーンに乗せ自分に引き寄せようとしているのだろうか。感心しながら楽しそうにおしゃべりを交わしているみんなが、私には何とも奇異に感じられる。すすり泣くお吉の声がなぜ聞こえないのか、もう、そっと眠らせて欲しいと言っているような声がどうして聞こえないのか――

 時の流れは容赦がない。障害者だからと差別されることもなければ、障害者だからと特別サービスを受けることもない。
 いよいよこの旅も終点に近づいた。何もかも忘れて過ごすことのできた三十六時間だった。けれど、ただ一つ心残りだったのは、波の音を聞くことができなかったことだ。
 それにしても六人はどん欲だ。帰りの列車の時刻までのわずかなときを惜しむかのように、すさまじいエネルギーでお土産を買い求める。「椿油」「桜饅頭」それはまるで伊豆を丸ごと持って帰るほどの勢いだ。
 改札が始まった。急がなければならない。けれど、さっきちらっと耳に入った山桃のアイスクリームが気にかかる。食い物の恨みは何とやらで、私はみんなの呼ぶ声を無視して、ホーム上の売店に飛び込むと、お金を投げ出していた。
 山桃のアイスクリームを抱き抱えるようにして車内に持ち込むと同時に、とうとう発車のベルが鳴った。

 8

 帰りの列車の中はただ静かだった。山桃のアイスクリームを食べてしまえば、もう伊豆の残り香は記憶の中だけだ。
 みんな何を考えているのだろう。この旅行で出会った親切で優しい人達のことが記憶から抜け落ちないように、大事に整理しているのだろうか。初めて乗った展望車のイメージを、心のフィルムに刻みつけているのだろうか。それとも、すでに明日からの日常生活に思いを馳せているのだろうか。現実を生きることは生やさしいことではない。ときには自分よりも大きな物と戦わねばならないこともあれば、無駄な戦いを避けてただ黙ってひれ伏すだけのこともある。
 自分自身を見つめなおしたいときに旅に出る人もいる。単調な日常生活でこびりついた垢を落としたいと列車に乗り込むこともある。たまには私もそんな旅をしてみたい。目的地も定めずにぶらっと出掛けてみたい。そして、ただ波の音を聞くだけのために、海辺に佇んでみたい。

あれから二年の歳月が流れた。いつかまたと約束したはずだったのに、誰もその話をする者はない。あのときはしゃいで交わした寿司屋の予約はどうなったのだろう。あのすてきなお嫁さんには赤ちゃんが居るかもしれない。小さなレストランはまだあるのだろうか?伊豆の風は風変わりな私達を記憶に止めていてくれるだろうか。
 鳥風館へは団体で一度行った。しかし、なぜか食事は以前ほどおいしいとは感じられなかった。
 観光地はどんどんにぎやかになる。次々に新しい施設がオープンし、人々の笑い声が弾ける。けれど、それはいつも施設の為の施設にすぎない。○○ランドは、○○ランド以外の何者でもないし、遊園地の絶叫マシンは、どこにあっても同じことだ。
 また6人で伊豆に行こう。誰かが口火を切って。今度は二泊くらいしよう。伊豆の土地言葉を聞き、釣ったばかりの魚を砂浜で食べよう。すてきな貝殻のピアスをして、あの小さなレストランのある場所でパーティーをしよう。再び「伊豆の踊り子」が戻ってきたときに、道に迷うことなく目的地に着けるように、「唐人お吉」が安らかに眠れるように、伊豆の街が俗っぽくならないことを祈りながら、車椅子と白杖の珍妙なグループのパーティーにみなさんをご招待したい。



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