「大それた夢」

高原光子

 作家になりたいと、大それた夢を見るようになったのは、あれは何歳頃だったろう。
 小学生の作文コンクールに、点字で原稿を応募し、見向きもされなかったあの時代から、私の心のタイムスタンプは、全く変わっていない。
 毎日寄宿舎の小さな机で、点字板に向かい、恋愛小説やエッセイを書きつづっていたあの頃、うっかり文章を練り上げずに書こうものなら、ぼつぼつと穴だらけになってしまった点字用紙は、二度とまっさらに戻ることはなかった。それは、決して「書き直す」ということのできない非情な世界だった。
 その作業は、毎月多額の点字用紙代を払わされる父親を嘆かせることの意味しかなく、書き損じの点字用紙で、篭を作っている友人を喜ばせるどころか、迷惑がられる結果になったものだ。
 そして今、パソコンが使えるようになり、こうして簡単に書き直しが出来るようになった。しかも、いつ、どこを書き換えたのかは誰にも気づかれることはない。
 けれど、ここで私はまた、はたと困惑してしまう。
 「『‥‥小説の書き方』『○○文章の書き方』などを参考にしたら」などと言われ、その点字、あるいは、録音図書を探して、またしてもがっかりさせられているのだ。
 そこはそれ手慣れたもので、我慢するコツも習慣として身につけている。おもむろに点訳、あるいは、音訳に依頼の電話を掛け、ただひたすらできあがるのを待ち続ければいい。
 けれど、せっかく思いついた題材を目の前にして、それに関する文献を調べる手だてが思いつかないときの悔しさは計り知れない。
 「どうしたらいいのか分からないから、とりあえず図書館にでも行ってみましょうか」などと、安易な発想には何の意味もない。図書館で、手当たり次第に本を開いても、私にとってはそれはただのつるつるした紙で、それ以外の何物でもないからだ。
 「○○という人は、いつ、どこで生まれたのかしら?」などの簡単な問いでさえ、どうやって調べたらよいのかが、さっぱり分からないのだ。
 ましてや「1965年頃には、どんな事件が日本を騒がせていたのかしら?」などの複雑な疑問にぶち当たろうものなら、
 「こんなこと最初から考えなければ、これほど悩むこともなかったのに‥‥」と、自分自身を責めて、視覚障害者だからこそ味わえる異様な感覚の虜になってしまうのが関の山だ。
 それでもこの頃では、電子ブックを使い、「広辞苑」を初め、国語や英和・和英などの辞書が引けるようになった。まあ、うんと奮発して、通信で新聞の検索を利用したとしても、音声を頼りに時間を掛けても、あまりヒットするとは期待できない。
 それでも、書くことの好きな私は、こうやってしこしことキーボードを叩いている。人間離れした音声を聞きながら、あちこち文章を入れ替えて、一人ほくそ笑むことすらある。
 ディスプレイを付けずに、イヤホンを耳につっこんでにやにやしている私の姿を見て、
「作家になるなど、大それた夢どころか、大逸れた夢なんじゃないの」と、心の中で心配している家族の者達の声が、音声合成システムから飛び出して来ないことを願うしかなさそうだ。


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