愛犬「カムイ」へ   高原光子
 

愛犬「カムイ」へ
 2005年1月2日午前5時14分、愛犬のカムイが寿命を終えました。
はっきりは分かりませんが、12歳くらいだったと思われます。こうして書いていても、涙が溢れてきますが、そのうちにこの悲しみも、生きていたときに愛犬がくれたたくさんの楽しいことを感謝の気持ちで思い出せる日がくるのでしょう。

 カムイが我が家にやってきたのは1996年7月20日でした。動物好きの長男がどこからか連れてきたのです。長男の話では、一応純血種のシー・ズーだけれど、尻尾の長さが長いとか短いとか、とにかくあまり美しくないとかで売ることができずに3歳まで放っておかれた犬だとのことでした。
 以前、我が家では犬を保健所に持っていってもらった苦い経験がありました。やはり長男が生まれたばかりの子犬をどこからか拾ってきて、私の反対を押し切って飼い始めたのです。しかし、拾ってきたときにはダンボール箱に入るくらい小さかったのに、みるみる大きくなって、半年後には大型犬というほどではないけれど、かなりの大きさになってしまったのです。子犬のときには一緒に遊んでいた長男もいつの間にか世話をしなくなり(よく聞く話ですが)、おまけに寂しがって鳴くので近所からもうるさいと苦情が出るようになりました。しかも、もうすぐ赤ん坊が生まれることもあり、私にも犬を世話する時間の余裕もなく、子どもたちには泣かれましたが保険所に引き取ってもらうことに決めたのでした。保健所に行けば確実に殺されてしまうことを分かっていて連れて行くのです。保健所に出すことを決めた私自身、別れの寂しさと、犬の命を絶つ申し訳なさでとても辛いことでした。
 今度は決してそんなことにはなりたくありません。というわけで、1度は反対しました。元のブリーダーの所へ戻すように言ったのです。しかし、犬が車に乗せられてからもなぜか今回は私の心がその犬に引き付けられてしまうのです。もう成犬になっているからこれ以上大きくなることはありません。シー・ズーはあまり甘えん坊でもないし、吼えないとも聞いていました。でも、犬を飼ったらどんなことになるのかしら?トイレのしつけはできるかしら?私には車の運転ができないから病気になったときに動物病院へ連れて行けなかったら可哀想なことになってしまう。いろいろ考えました。でも、やっぱり私はその犬が欲しくてたまらなくなっていたのです。よし、今度は私が責任を持とう。子どもたちも大きくなったし、長男には車もあるんだし何とかなるかもしれない。ということで、そのシー・ズーは我が家の一員として暮らすことになったのです。
 私が犬を飼うことを決めたのにはもう一つ理由がありました。ずっと子どもの世話に明け暮れていた20年に突然終わりがきたのです。我が家には4人の子どもが居ます。その頃長男はすでに高校を卒業しており、下の三男が中学2年でした。実は、その三男が中学に入学すると同時に寄宿舎に入ってしまったのでした。末っ子は可愛いものです。いけないとは思いながらついつい甘やかしてしまいます。その末っ子が突然居なくなってしまったのです。私の心にはぽっかりと穴が空き、何もやる気が起きずにふとしたことで涙が溢れてしまうようになりました。それでも日々はそれなりに過ぎていったのですが、そのうちになぜか毎日午後になると38度を超える熱を出すようになってしまいました。あちこちの病院を巡り歩いても原因は分かりません。最終的にストレスだろうとのことで、とにかくゆっくり過ごすように言われたのです。暇の苦手な私です。ゆっくり過ごすと言われても、テレビは面白くないし、さりとて出かける場所もありません。それを見かねた長男が「お母さんは誰か世話する人が居た方がいいみたいだね」と言っていましたがそれが「犬」だったのです。
 さて、名前はどうしよう?我が家には先にも書いたように4人の子どもが居ます。それぞれいろんなことを言いましたが、やはり長男の意見が通って「カムイ」というシー・ズーにはまるで似つかわしくない名前に決まりました。
 カムイは最初からとてもおとなしい犬でした。知り合いの訓練士から「雄犬は縄張り確保のために家中におしっこを引っ掛けて歩くかもしれないよ」と言われ、覚悟をしたのですが、おしっこは外でするものだとしつけられていたのか、家を汚すことはありませんでした。ですから、せっかく買ってきた犬用のトイレも無駄になってしまいました。
 7月です。夏休みです。母親というものは子どもの健康やら生活習慣やらとにかく子どもが迷惑だと思ってるようなことをいろいろ考え出すものです。犬も毎朝散歩させなければならないし、私も一人で散歩するよりみんなと一緒の方が楽しいに違いありません。ということで、近くの中学校の周りを家族みんなで毎朝マラソンすることに決めたのです。
 6時には容赦なく私の声が子どもたちを起こします。カムイもわんわんと吼えて私を助けてくれます。一人と一匹のあまりのうるささに子どもたちは仕方なく外へ出てきます。それから子どもたちはカムイと一緒に走ります。私は「お母さん遅いぞ」と言われながら必死で追いかけました。本当ににぎやかで楽しいひとときでした。
 それから私は毎日カムイと散歩するようになりました。一人ではなかなかできないことでも誰かと一緒なら続けられます。「毎日犬の散歩が大変なのよ」と言いながら、亡くなる1週間前まで私とカムイの散歩は続けられたのです。家に来たばかりの頃は朝夕1時間ずつくらい、それがいつの間にか朝だけになり、最後は5分歩くのがやっとになってしまい、うっかり足を伸ばそうものなら帰りには抱っこしなければならないほどでした。

 カムイはボールを投げても走っていって咥えてくるような活発な犬ではありませんでした。わずかに小さなぬいぐるみを投げると咥えて戻ってきます。遠くに投げるとめんどくさがって取りには行きません。それでも無理やり取りにいくように促すと、「しゃあないなあ、とってきてやるかあ」というようにゆっくり歩いていくのです。たまに自分からぬいぐるみを咥えて「早く投げてよ」と言うときもあるのですが、いつも10回以上は続けられませんでした。それも外ではなく家の中に限るのです。こうして書いていると、ぐるぐると喉を鳴らしながらぬいぐるみにじゃれ付いているカムイが目に浮かんできて、またちょっぴり寂しい気分になってしまいます。
 カムイとの遊びで思い出されるのはかくれんぼです。私がカーテンの陰に隠れるとカムイがそぉっと私の側に近づいてきます。「カムイーー」と言って私が飛び出すと、カムイは一目散に逃げて私の潜り込めないテーブルの下に入ってしまいます。「カムイみーつけた!」と言って今度は私が一目散に逃げる番です。そしてまたカーテンの陰に隠れると、カムイはテーブルの下から出てきて「遊ぼうよ」と言います。そしてまた最初から同じことが繰り返されるのです。
 カムイはとても綺麗好きな犬だったのだと思います。我が家に居た8年半、カムイは1度も外で横になることはなかったと思います。私が近所の主婦とおしゃべりしているときにも、他の犬が飽きて寝そべっても、カムイはいつもしゃんと立っていました。宮沢湖に連れて行ったときにも長い距離を歩いて疲れているにもかかわらずカムイはしゃんと立っていました。
 綺麗好きと言えばこんなこともありました。カムイは外でおしっこをする習慣になっていて、天気の良い日には溝の所でおしっこをするのですが、雨だと濡れるのがいやで外壁の際におしっこをしていました。ところが、そこにおしっこをすると、道に向かって傾斜になっているのでおしっこが流れてしまいます。おしっこをした後に家に戻ってこようとすると、どうしてもそのおしっこの線を飛び越えなければなりません。カムイにとってはおしっこを自分の足で踏むことなどとてもできなかったのでしょう。いつも困ったようにうろうろしていました。たいていは私が抱っこして解決していましたが、たまにわざと知らんふりしていると、わざわざ遠回りをして戻ってくるのでした。それで結局溝におしっこをするよりもびっしょり濡れてしまうのです。
 本当にいろんなことがありました。予防接種以外で初めて病院へ連れて行ったのは確か右後ろ足を脱臼したからだったでしょうか。私がうっかり蹴飛ばして階段を上から転げ落ちたときには、しばらくの間体中が痛いらしく静かにしていたものでした。そうです。若かった頃には自由に階段を上り下りしていたんです。一人で2階へ行っては窓から顔を出して遠くの犬と何やらおしゃべりしていることもありました。あれは何を話していたのでしょう?この家の奥さんはドジで困ったものだとか何とか告げ口をしていたのでしょうか?そういえば道で出会った犬が「なるほど〜、これがあのドジな奥さんかあ!」って言ってたような気がするのは私の思い過ごしでしょうか?

 カムイが家に来て数日後のことでした。まだまだ寂しがりやだったのかその頃は2階の私の布団の足元で寝るのが習慣になりつつありました。雨が降っていて、例のごとくカムイは外へは出たくないらしく、おしっこをさせようと玄関のドアを開けてもうろうろするばかりだし、犬用のトイレではしてくれそうにもなくて困ったなあと思っていた矢先のことでした。まさか私の布団の上にうんちをしているなどとは思いもせず、私はまともにその上に座ってしまったのです!「きゃあ!!」私のおしりはうんちだらけになるし、それはそれはものすごいことになってしまいました!着替えをし、布団カバーをはずし、雨なので臭いがこもるし、洗濯物はわんさとあるしで泣きたくなってしまいました。
 うんちといえばこんなこともありました。私が外出していて、夫が自分の部屋で転寝をしていて、いいえ、私だったら決してあんなことは起きないと思うのですが、寝たら起きない夫のことです。私が外出から帰ってきたら、カムイは一人遊びをしていて、夫の足元にには見事なお土産が落ちていました。夫の部屋では他にもうんちの話題があります。私が掃除機をかけていると、どこからともなくうんちの臭いがしてきました。「えっ!もしかして」そっと吸い込み口を触ってみた私は唖然としてしまいました。私は隅っこにあったうんちを掃除機で吸ってしまったのです。それからその掃除機を使う度にうんちの臭いがして、買い換えるまでの数年間は掃除のたびに悩まされ続けたものでした。
我が家に来たばかりのカムイはいつもぶるぶると身体を震わせていました。子どもの大きな声にびくついて隅っこに隠れたり、せっかく長男が買ってきた犬用のピーピー鳴るおもちゃでさえ怖がって逃げてしまうしまつです。掃除機をかけるとその音が怖いのかさっさと2階へ逃げてしまいます。1度ぬいぐるみを取りに行ったときに金属製の椅子が倒れてきたことがありました。それ以来カムイは決してその場所へは近づかなくなってしまったのです。椅子をどかしても、わざとぬいぐるみを投げても、餌で釣ってもだめでした。どうやら大きな音があまり好きではなかったのでしょう。
 また、家にきたばかりのカムイは人間不信に陥っていたのかすぐに噛み付きました。せっかく遊んであげようと抱き上げても噛み付くし、ちょっとからかっても「ウウー」とうなって噛み付きました。こうして写真を並べてみても、飼いはじめた頃のカムイは結構きつい顔をしています。それが年齢を重ねるほどに優しい顔になって、亡くなった時にはとても幸せそうな優しい顔になっていました。
 カムイは弱虫だったから震えていたのでしょうか?それは違っているかもしれません。カムイは死ぬまで震え続けていたような気がします。病院へ行っても震えていて「いつもこうやって震えているんですか?」と言われたものでした。でも、カムイは注射をされても決して泣きませんでした。私に蹴飛ばされて階段から落ちたときも、私に足を踏まれて怪我をしたときも、脱臼をして動けなくなったときも、じっと我慢している子でした。動物病院の先生が「泣いてくれればどこが痛いのかわかるのにねえ。カムイちゃんは本当に我慢強い子ね」と言っていました。
 カムイが泣いたのは、爪を切っていて間違って肉を切ってしまったときと、死ぬ数日前にうまく水が飲めないからと耳の毛を切ろうとして、誤って耳を少し切ってしまったときくらいでしょうか。そうです。やっぱりカムイは決して弱虫な犬なんかではなかったのだと思います。むしろ我慢強い犬だったのでしょう。

  カムイは1度だけ本に登場したことがありました。今となってはカムイに申し訳ないことですが、本の中のカムイの名前は「チャコ」になっています。カムイというあまりに仰々しい名前がいやで私が変えてしまったのでした。1998年、近代文芸社が「犬じまん」という本を出版しました。そのための原稿募集をしていて「盲散歩犬『ちゃこ』」という題名で応募したのが取り上げられたのです。
 カムイはもちろん盲導犬ではありません。でも、私は車の少ない道ならカムイと一緒に白杖なしで安心して散歩することができていました。カムイに引っ張られて知らない場所へ出ても、「ハウス」と言えばちゃんと家まで連れ帰ってくれるのです。こんなこと書くと盲導犬ユーザーには叱られるかもしれませんが、小さな犬でも一人ではないということがどれほど心強かったことでしょう!そして、今の私があるのは毎日のカムイとの散歩のお陰だと思っています。せっかくカムイがくれた散歩の習慣、私はこれをカムイの財産として続けるつもりです。もちろんこれからは白杖を携帯して!
 カムイはとても賢い犬でした。全盲の夫が歩くときには小さなカムイは蹴飛ばされてしまうかもしれません。たばこを吸うために換気扇の前に立つときも、ピアノを弾くときも、夫はいつも「通るよ、通るよ」と言いながら歩いていました。寝そべっていた床から急いで立ち上がって逃げていくカムイの姿を思い出して、「通るよ、通るよ」などと言ってみてはまた悲しくなってしまいます。
 犬はいろいろなことをちゃんと覚えています。朝、私が化粧品ケースの蓋を閉めると散歩の時間です。自分で散歩紐を咥えてきたり、先にたって玄関で待っています。嫌いな「お風呂」という言葉にもちゃんと反応してテーブルの下に隠れてしまいます。千葉に行ってしまった長男が帰ってくることもちゃんと理解できるようで、「今日はお兄ちゃんが帰ってくるよ」というと、いつもテーブルの下で寝てばかりだったのが朝からそわそわして何度も玄関へ迎えに行ったりするのです。

 カムイにはもっと甘えて欲しかったと今は思っています。あまりに行儀が良すぎたのか、犬独特のキューンキューンというあの声はほとんど聞くことができませんでした。顔や手を舐められたこともほとんどありません。空腹のときにわずかに「お手」と「おかわり」をするだけでした。食事の準備をしているときにもきちんと待っていて、決してがつがつと食べることもありませんでした。
 寝転がってテレビを見ているときにはいつも私と一緒に寝てくれたカムイはもうここにはいません。座布団や畳を舐めて叱られていたカムイもいません。散歩のときに私の前をしゃんと尻尾を立てて歩いてくれたカムイもいません。少しずつ、少しずつカムイの痕跡が消えていきます。先日掃除機のごみを捨てました。ですから掃除機をかけたときに匂っていたカムイの毛の匂いもしなくなりました。水の茶碗も、餌の茶碗も、カムイのトイレも片付けてしまいました。
 カムイが居てくれた8年半の間にはいろいろなことがありました。長男は千葉へ行ってしまい、他の子どもたちもそれぞれ忙しくなりました。夫婦の間にも別れが訪れました。出会い、別れ、裏切り、悲しいことがたくさんありました。カムイだけがいつまでも私の赤ちゃん」でした。カムイだけがいつまでも私を信頼し愛してくれました。私はいつも「私の恋犬」と呼んでいたのです。

 カムイの最後はとても安らかなものでした。実は、3年ほど前からカムイの調子が少しずつ悪くなってきていたのです。それまで元気だったのに、急に歩けなくなりステロイドを服用し始めた頃から「老犬」の様相を示し始めたのです。副作用で顔つきもとろんとし、目の下が腫れ上がって膿が出るようになりました。ステロイドを止めてからは少し元気にはなったのですが、一人では階段を上れなくなってしまいました。一昨年の夏には暑さのために脱水症状になり一時危篤状態になってひどく心配させられました。それでもカムイは1週間の入院を経てちゃんと帰ってきてくれました。
 それなのに急に食事を摂らなくなったのです。2004年12月25日の食事が最後になりました。私が外出するために早めに食事を摂らせ、カムイに食事を与えたことが他の人に分かるように餌の空き缶を出しておくことになっていたのを忘れてしまい次男が2回目の食事を与えたのが最後でした。その食事も美味しそうに食べたのだそうです。
 次の日から餌も水も一切受け付けなくなりました。最初はうっかり2食食べさせたせいでお腹を壊したのだと思いました。しかし、そのわりには元気で、朝の散歩もちゃんとしてくれたのです。そうです。26日のこの散歩が最後の散歩になったのでした。カムイはその次の日も、やっぱり水も餌も摂ろうとはしませんでした。前の夏のこともあったので脱水症状を防ぐための栄養補給をと思い、とりあえず動物病院へ連れて行ったのです。命が終わろうとしていることなど想像もできませんでした。
 12月30日、カムイは腎臓と肝臓が機能不全に陥ってるとのことで入院しました。大晦日は朝から大雪が降りました。そして2005年の元旦の午後に「もうこれ以上できることはありません」との電話があり、家へ連れ帰ったのです。
 ほとんど意識不明だったカムイが午後の8時に急に目覚めました。次男と、三男と、私の顔をゆっくり見て、「バイバイ」というように手を振ったのです。そしていつも寝ているテーブルの下へ自ら潜り込もうとするのです。
「カムイはここで寝たいんだね」
 次男がテーブルをどかしてカムイの布団をそこへ移動しました。そしていつもかけている私の羽毛ベストをかけてあげたのです。
 カムイはいつもと同じようにゆっくり呼吸していました。とても安らかに眠っていました。隣で一緒に寝ていた私がうっかりうとうとするほどに静かな寝息でした。
 そして午前5時14分、「ふうーっ」と大きなため息がしたと思ったときには、カムイの命は終わっていました。さっきまでしていた規則正しい寝息は聞こえません。心臓に耳をつけても何も聞こえません。とてもとても静かな朝でした。
 子どもたちを起こしてカムイの命が終わったことを告げました。いつもはなかなか起きない三男も、夕べはカムイに会えなかった長女も、そして次男も、みんなでカムイを抱き泣きました。みんなでカムイとの別れを悲しみました。
 カムイのお気に入りの洋服を着せ、ダンボールに小さな座布団を敷き寝かせました。その上に家族みんなの写真を入れ、みんなで泣きながら花を撒きました。そして3時過ぎにカムイは車に乗せられてペット霊園へと運ばれていったのです。
 この文章を書き終えようとしている今、私はまた新たな悲しみに胸が張り裂けそうな思いをしています。キーを叩きながらも涙が溢れて仕方ありません。
もう1度カムイに会いたい
もう1度カムイを抱きたい
もう1度カムイの声を聞きたい
もう1度カムイの滑らかな毛を撫でたい
もう1度……!
カムイ
カムイはいつまでもいつまでもお母さんの赤ちゃんだからね!
         2005年1月
         カムイのお母さんより


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